子供のころは仲間の中でどんな存在でしたか?やはりおしゃれリーダーでしたか?

姉がアメリカにいて衣料を送ってもらっていましたから、日本の商品と比べられたので、人より知識が身につく環境でした。


ご両親もやはりそういう(衣服に携わる)方でしたか?

いえ、全く。疎開先の福島から戻ってきて住んだのがたまたま逗子で、近くには横須賀の基地がありました。なのでアメリカの文化がとても身近でした。外国の衣料品を身近に見れる、そういう環境でした。普通は外国人がそばに住んでないですし、当時そういうものは映画くらいでしか見られませんでした。身近だったということが一番のファッションに入った理由ですね。

そういった「情報の速さ」は大きな要因だったと思うのですが、今は情報が平均化していますよね。 より多くの人がより多くの情報をより早く入手できます。今後はどんな人がリーダーになっていけるでしょうか?


我々はものがない時代でしたから新しいものを持ってくれば注目して頂けました。今は世界が同時に見られます。インターネットもあるし、簡単に海外に行くこともできる。相当個性的かブランド力のあるものしか…目立たない、でしょうね。で、どちらかというと今はブランド力のあるもののほうがお客様としては買いやすいし受け入れやすい。かつて誰かがいいと言ったものがクオリティを落とさずにブランドを維持しているものが一番わかりやすい。だからブランド物が売れる。女性ものと男性ものと根本的に違うのが、女性のものって基本的に何でもあるじゃないですか。男性のものは限られていますよね。女性のものは何でもありで挑戦しやすいから際立てて差別化するのは難しいでしょうね。大変難しい時代ですね。

ユナイテッドアローズをやっていく上でも難しさを感じていらっしゃいますか?


そうですね。違ったものを生み出す、ということ自体がむずかしいですよね。もちろんユナイテッドアローズとして試みはしています。そういった商品開発を怠らないのは会社としての使命であるしそれが存在意義です。

洋服を好きな者として追求や探究心があるのと同時に、ビジネスとしてマスに対する動きをとるわけですが、両方のすりあわせやバランスというのは、はじめからご自身の中で納得されていたのでしょうか?

自分が納得いかないものがマーケットでは受ける場合があるんです。簡単に言ってしまうと売れるもの。そういうものがすごく売れてしまったりする。我々が売り出したいものとお客様が求めているものにそれだけの差がある。送り手側というのはとことん突き詰めたいじゃないですか。ところがお客様はそれを必要とされていない。その差っていうのが自己満足なんです。本当はあっちゃいけないものなのですが、でも作り手っていうのは自己満足のためにやってるみたいなもんです。そのバランスを保つのがビジネスです。ということは売れるってことはどんどん自己満足の世界から離れていくってことです。

ユナイテッドアローズでは「日本の生活文化のスタンダードをつくる」とおっしゃっていますが、それは例えばどんなものですか?

「スタンダード」は画一化されたものではないのです。十人十色でしょうね。人が十人いたら思考も違うんで。ただ、生活のスタイルっていうのは大きく分けると何種類かになると思います。何千種類にはならないでしょう。何百種類にもならないでしょう。10種類位にはなると思います。暮らし方、住まい方、装い方とか。だったらその10人にひとりがひとつは持ってないとスタンダードと言えないかな、と。ファッションではないかもしれないですが実用衣料のスタンダードとしてユニクロはスタンダードだと思います。あとは、日本のファッションの中でスタンダードと言われるものはまだないと思っています。


日本にとってファッションはかつてアメリカやヨーロッパからもたらされるものでした。今では日本から発信している部分もあると思うのですが、世界における日本のファッションのポジションはどんな風に評価していらっしゃいますか?

それは難しいですね。あとまだ100年くらいかけてやっていかなきゃならないでしょうね。いまでも「洋服」って言われているように「洋」の服ですよね。「服」って言っていないですよね。「洋服」と「和服」と言って120年位前にわれわれは「洋服」を文化として選んだので後発でまだ百数十年しか歴史がないものなのです。日本から発信するというようなものが、文化としては絶対ないと思うんです。オリジナルではないじゃないですか。オリジナルとして日本から発信できるものと言ったら和装しかないと思う。和装が何でこれだけ衰退したかといえば機能性がないからだけれども、かといって和装に機能性を持たせたり、着物の素材で洋服を作ってもそれは違うものなので(そういうことをするのは)難しいですね。日本から発信できるものだったら…原材料ってものすごい技術なんです。そういったものを軸にしてものすごいオーソドックスなもの、例えば先進の素材で機能性を持って日本しかできないようなものとして売り出すんだったら、できると思うんですけど、絶対に、未来永劫・・・といったらまずいけど日本から発信してそれが世界を席巻するなんてことはありえないと思う。世界の人も誰もそんなこと望んでいないと思う。日本が日本を背負って世界に出て行くといったら和装で行くしかない。例えば中井貴一さんが海外の映画祭に出るときの話です。どんなにがんばってもタキシードだと海外の方が上。だから紋付はかまで出る。そこで対等になる、やっと。だから日本から発信というのだったらそういったことでしかできない。あとは日本的なアプローチで欧米の価値観を崩す、川久保さんのように。崩してしまうことにエネルギーとか新しい価値観とかが生まれるなら。でもそれは非常に難しい。川久保さんのほかに誰かできているかと言うと…川久保さんがすごいのはそれを継続しているということです。

ユナイテッドアローズとしての海外へのアプローチは考えていらっしゃいますか?

もちろん考えています。なぜ日本のファッション産業が脆弱かというと世界に流通していない、数少ない産業のひとつなんですよ。家電だって、自動車産業だって、輸出が上回るくらいですよね。それぐらい(それらは)世界で評価されている。一方ファッションの技術と言われるもの中ではパテント(特許)がとれるものがない。技術ってだいたい特許がとれるじゃないですか。でもファッションの技術ではとれない。製造の部分で、編み機だったり高密度の素材をつくる技術などで特許がとれるくらいです。川上の「原料」の段階ですよね。織機だったら「機械」です。それぐらい難しいハードルがある。官民挙げて色んなことやってるんですよ。100年くらいかかりますね。世界の人って技術には弱いんですよね。でも感性とか思考とかに対しては違う。もちろん京都であるとか和の文化とか侘びさびというものに対してはものすごい高い評価をしていますが、それは今のファッションには何にも取り入れられないじゃないですか。だからそこだと思う。まだ誰も克服していないし、答えをだしていないし、やりたいと思ってるんだけどなかなか、答えがでなくて…やろうと思ってますけどね。本当は3年以内位にロンドンとニューヨークに店を出すつもりだったんです。出すつもりだったんですけど、ちょっと難しいなと思いますね、現実的には。今言ったように。自分たちの思考とか世界に通用するようなライフスタイルの中の日本が提案するファッションが受け入れられるかというとそんな土壌は何も無いだろうと。歌舞伎が行ったりお相撲が行ったり、茶の文化や能が行けば、そのまま受け入れてくれますよ。でも洋服で行ったらお前らの文化じゃないだろう、とまずね。

代官山コレクションに参加する若手デザイナーたちにメッセージを頂けますでしょうか。

日本の市場にしても、海外に持っていくにしても海外でどういうものづくりがなされているか、現状、実態を正確に把握した上で、隙間をついて出してきた方がいいと思います。今まではどちらかというと何も考えず感性だけでいっている部分もありましたが、今後はそういう時代ではないと思います。あとは国内、海外のバイヤーなりジャーナリストなりにものを多く見てもらったほうがいいと思います。なかなか機会(を得るの)が難しいと思いますが…そういう広報機関機能が必要ですよね。


株式会社ユナイテッドアローズ
代表取締役会長
重松 理
1949年神奈川県逗子市生まれ。
73年明治学院大学経済学部卒業婦人服メーカーにて営業を経験した後、 76年セレクトショップの草分けとなったBEAMS設立に携わる。
BEAMS 第1号店店長を皮切りに、プロデューサー的役割を果たす。
株式会社ビームス常務取締役を経て、ビームス退社。
89年10月株式会社ワールドとの共同出資により、株式会社ユナイテッドアローズを設立。
代表取締役社長に就任。
2004年取締役会長に就任。

UNITED ARROWS HP  http://www.united-arrows.co.jp




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