(世界的レーシングドライバー中野信治さんに伺う、夢をかなえる思考法)

中野さんはレーシングドライバーとして活躍されているだけでなく、チャリティや環境問題へのご関心も高く様々に活動されていらっしゃいますね。

環境問題に関してはある意味、真逆のところにいる職業ですから、だからこそやるべき立場なのかなと思っています。自分の夢を叶えるためにやってきて、応援して下さる方もいて、特に30歳を過ぎてからは自分軸ではないところでも何かをやりはじめる必要があると感じるようになりました。 レーシングドライバーというのは見た目よりも奥の深い仕事です。 色々な方々に出会って、応援して頂いて、少しずつ色々な夢が叶っていきました。 大事なことはやはり人とのつながりです。誰かのお陰で自分があるということを多々実感してきました。 多くの方々の協力なくしてはできないスポーツですから、だから今度は自分が返していく番だと思うのです。

11歳でレースを始められたそうですがその時からプロになりたいと思っていましたか?

いえ、そのころはただただ楽しくてしかたがなかったという感じです。 父もレーシングドライバーでしたから、父が叶えられなかった夢、というのもあって僕をすごく応援してくれました。 当時の僕は車が好きというのはそこまではなくて、ただ負けず嫌いで、子供の頃からとにかく一番!にならないと気がすまない性格で、それは何であってもそうだったのですよ。勉強以外は(笑) プロになろうと決めたのは15歳のときでした。 15歳のときに無限のワークスドライバーに抜擢して頂けるという名誉なことがありまして、そのデビュー戦が高校受験の前日だったのです。 それまで父が支えてきてくれたわけですが、契約ドライバーになることで、メーカーの応援が9割になる。すると僕にはそれだけの責任があるのですね。 でも高校までは行った方がいいと思いましたので、父に開幕戦だけは休ませてほしいと言いました。 当然、父も仕方がないと言ってくれるものと思っていました。 ところがそこで父が発した言葉は「お前何考えとるねん」と。 「これから何で飯を食っていこうと思っとるんや」と。 父はプロとは何なのか、男が仕事をするとはどういうことか、を教えたかったのでしょう。 本気で取りに行きたいと思ったら死ぬ気で取りに行かなくてはいけない。 その時にはじめて真剣に自分の将来を考えました。 そしてそこで、レースの世界でやっていく、と決めたのです。とはいえ一応高校受験も合格しましたが。(笑) そしてゴーカートで世界チャンピオンになって、四輪にステップアップ、F3にステップアップしたのが18歳でした。 本田博俊さんにご縁を頂き19歳でヨーロッパに行くチャンスが訪れました。 F1で走るには英語もできなければいけない、ヨーロッパのサーキットも覚えないといけない、向こうの人たちとの仕事の仕方もわからなければいけない、と子供ながらに色々と考えていました。 *文面がわかりづらい部分を削除しました。 その時に自分の夢を叶えるまでの間の約束事として決めたのは、お酒は飲まない、タバコも吸わない、食事を制限するということ。 そのような決め事をしたわけは体のためもあったのですが、私生活の中にそのような*トリガーを置くことで潜在意識の中に意識を送り込んでいったのです。 自分がそこにむかっている、ということを直接的に思わなくても禁止したものをみた瞬間に意識の内に思っている、そのようなトリガーをつくったのです。(*トリガー…引き金。一連の反応を起こすきっかけ。)

F1デビューした当時、チーム監督に英語力のテストもされたのですが、僕はなんなくそれをクリアすることが出来ました。 それは19歳のときの経験があったおかげですね。 つまりその経験が役立ったのは7年以上経ってから、ということになります。 すべてはつながっている。そう思ってやってきたことが、未来につながっていたと思います。 自分が本当にほしいもの、やりたいことがあったときに、 自分に何が必要で何が必要じゃないか、本当に真剣に考えて思ったときにそれはわかると思うのです。イメージできると思うのです。 自分にやりたいことがあって目標を持ったときに、そのときにまずやらなくてはいけないことは…例えば東大に行きたいなら勉強することですし、レーシングドライバーでF1を目指すのであれば言葉はできないといけないし、海外のレース経験も必要ですし、もちろん速く走れないといけないですし、トレーニングもしなくてはいけない。 TVを見ている時間があるなら本を読んでステップアップするための勉強をする。 みんなが遊びに行っているときに僕はトレーニングに行って、みんながおいしそうなものを食べているときに僕は体によいものを食べて… それをやったからと言って、必ずF1に行けるとは限らないですよ、 ひとつの自分の意識を高めるやり方です。 そのようなことをしなくたって叶えてしまう人だっているわけです。 ただ、世界を見て思ったのは、世界一になる、というのはやっぱり少し違うと。 モータースポーツの世界は狭き門です。F1に出られるのは世界で20人です。 能力がある・・・速いだけではだめで、色々な能力がなくてはなりません。 モータースポーツは組織のスポーツであり、モノを使うスポーツです。 モノが勝敗の8割を決めています。 ただ、そのモノを造っているのは人間なのです。だからいかに人間を育てるか、いい組織をつくるか、いいモノを造らせるか、が勝敗を決めるのです。 すべての歯車が合わないと結果が出ない世界です。

決して一人の力だけでは活躍できない…どんな仕事でも同じことなのですね。 ファッションデザイナーを志しても同じです。 チームをまとめてひっぱっていくにはまずは自分自身を高めなくてはだめですね。 中野さんのお話の中には「夢」というキーワードがよく出てくると思うのですが、夢を持てばがんばれると同時に不安になることもあると思います。自分には無理ではないか、ですとか… そのような時はどう乗り越えたらよいでしょうか?

とにかくやってみることですね。 中途半端にやっても結局引きずってしまいますよね。 だから全力でやる。全力でやってみてだめなら、しょうがない。 岐路に立ったとき、続けていく意思も大事だし、あきらめる勇気も大切です。 もうここまでやったんだから、これでもダメなら、と思えるほどやる。それが大切ではないでしょうか。





レーシングドライバー
中野信治


1971年4月1日 大阪生まれ 174cm 67kg
11歳の時、父の影響を受けカートを始める。
87年、16歳で国際カートGPにおいて日本人初優勝・大会史上最年少優勝に輝く。
その後フォーミュラカーにステップアップ。
97年には、日本人で5人目となるF1選手権フル参戦デビューを果たす。
00年に活動の場をアメリカに広げ、CART、IRLと世界最高峰のカテゴリーで活躍。
05年にはF1モナコGP・インディ500に続く、ルマン24時間耐久レースに参戦。
日本人初、世界でも30人目となる世界三大レース全てに参戦という偉業を成し遂げる。

実力・人気ともに日本が世界に誇る国際派ドライバーとして現在も第一線で活躍中。
またメディア出演や講演、環境問題への取り組み、若手育成など多方面で活動を行い、
幅広い世代から支持を受けている。

中野信治 HP  http://www.c-shinji.com/main.html





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